モスクワの一夜



アエロフロート機は、ぐんぐんと高度を下げていった。
成田空港を飛び立ってから、10時間余り。今、モスクワの空港に向かって着陸態勢に入った。見渡す限り、白銀のシベリア大地と別れを告げ、機は分厚い雲海の中に突っ込んでいった。
何も見えない灰色の世界。そんな雲の中を、しばし遊泳(?)する。
やあやあって雲が切れ始め、森や雪や建物が見え始めてほっとした。しだいにその姿が大きく、はっきりとしてきた。
午後5時35分、アエロフロート機は無事に滑走路を滑るようにして着陸した。能率の悪い入国審査を済ませ手から、ホテルに向かう。
実はこの旅は、ロシア観光に来たのではなく、イタリアの旅の途上である。つまり、モスクワを経由してミラノ(イタリア)に入る、トランジット・ビザ(通過査証)で入国したのだ。たとえ、空港から市内のホテルの往復だけでも、初めて訪れるモスクワの地で、一泊できるのを楽しみにしていた。それに、「もしや、市内を少し周ってくれるのでは?」との淡い期待もあった。
ホテルへの送迎バスに、サーシャさんとグレゴリーさんという2人のガイドの青年が乗り込んできた。たどたどしい日本語だが、時折口にする日本文学には詳しい。
空港から15分ほどで、モスクワ市内にはいった。歩道沿いにはポプラ並木が続く。でも街灯が暗いので、辺りの様子がはっきりしない。人通りは少なく、コートを着た人が肩をすぼめて、一人二人と歩いている。
電灯はどこも白熱電球のようで、商店や住宅は暗い。どこの家にもカーテンがなく、赤っぽく照らされた窓は侘しい感じだ。
突然立ち上がってこちらに振り向いた、サーシャさんが言った。
「特別に、クレムリン宮殿をご案内します」
「もしや!」との思いが実現したので、思わず小躍りした。
昔の「ゴーリキー通り」だという、モスクワ銀座に来ると、さすがに明るくて華やいている。モスクワで最初のマクドナルドだという店からは、見覚えのある看板と、照明が煌々としていた。
空港から40分ほどで、「赤の広場」に着く。モスクワの発祥の地というクレムリンの城塞が、威圧するかのように立ちはだかっていた。
バスを降りると、雪が降り出しそうな寒さに身を縮める。気温はマイナス1度だと、サーシャさんが言った。
クレムリンの後ろ側には、その昔、市の見張りと信号塔に使われたという、「イワン大帝の鐘楼」がひときわ聳えている。その奥にはきっと、「クレムリン大宮殿」があるのだろう。
クレムリンに向かい合ってりる、「バァシリー大聖堂」を指さしながら、隣にいた妻が言った。
「まるでおとぎの国のようね!」
まったくその通りであり、わたしは頷いた。シュークリームのような、丸屋根。それぞれの塔の先端には、天を突き上げるように十字架が立っている。赤や緑、黄色の鮮やかな模様が、暗闇の中に幻想的な姿で浮き上がっていた。
我々を珍しそうに見ながら、楽しげにお喋りをしつつ若者たちが通り抜けて行く。屈託のない笑顔は、新生ロシアの象徴であろう。
土産屋が、売り物を手に手に寄ってくる。そんな若者たちをかわしつつ、温もったバスに飛び込んだ。
バスは直ぐに、発車した。モスクワ川沿いにクレムリンを周り、今夜の宿の「Sホテル」に向かう。暗闇に、白い木肌をさらした白樺林が広がっていた。



早朝、ホテルを出るときに降り出した雪は、見る間に積もっていった。道路沿いの白樺林も、枯木のような枝を白く飾っている。
真っ白いモスクワの空港からミラノに向けて、アエロフロート機は飛び立った。





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