アフガニスタンとの国境の峠


パキスタンとアフガニスタンとの国境にある、カイバル峠へ向かうために、ペシャーワルの「Pホテル」からマイクロバスで出発した。
緑の多い市街をしばらく走ると、軍の駐屯地に着く。ここから軍の護衛官が乗り込んできて、我々の護衛をしてくれる。パキスタン人がふだん着ている、シャルワルカミースを着て自動小銃を肩に掛けている。パシュトーン人のような髯を蓄えた、大柄な中年男性だ。
ペシャーワル大学を過ぎ、さらに市街から離れるごとに、辺りの様相が変わってきた。道路の両側に並ぶ建物は、小さく粗末になっていく。家々も土造りの平屋建てで、それはスラム街のようでもある。左手前方には、テントの群れが続いていた。
「この辺一帯は、アフガン難民のキャンプです」
こちらを振り向きつつ、ガイドのGさんは言った。
辺りには女性の姿は、まったくない。男性のほとんどは、口髭を生やしたパンジャーブ人とは違い頬髭であり、アフガニスタン系の人々であると見分けられる。
道路際の露店は、果物や飲食物を売る店が多い。それらが、日除けを付けた荷車の上に並べられている。
沿道沿いに並んでいる、小さな店。そのショー・ウィンドーには、時計や煙草が大事そうに納まっていた。
銃店も何軒かあり、店いっぱいに並べられた小銃やピストルは、何とも異様な光景である。
ここが名高い、「ペシャーワルの密輸市場」なのだ。イスラム国パキスタンでは、御禁制の品のアルコール類はもとより、ハッシッシまで堂々と売られているという。ピストルも簡単に買えるそうだ。外人には検問のチェックが無いようなので、やはり危ない市場である。
小高い丘の上に建つフォート(城塞)と、ゲートのあるジャムルードに着いた。小休止のために、バスを降りる。小銃を肩にした兵士ばかりで、そこに住む普段着の男たちも、肩には小銃を掛けている者もいる。観光客は、我々日本人と欧米系の数人のグループだけで、丸腰の身では何とも落ち着かない。
アフガニスタン政権がチトー化(ソ連離れ)することを恐れ、1979年にソ連は軍事介入する。でも、アフガニスタンゲリラの鎮圧は不可能と判断して、10年後に撤退した。しかしアフガニスタンの内戦は、続いている。
この地区のアフガン難民は、戦禍の治まるのを待ち兼ねて、祖国に帰ることを願っていることは当然だ。でも、商売に成功してこの地区に根を張った人たちは、戦争で何もない母国に帰るのをためらっているという。
ゲートをくぐると、「トライバル・テリトリー(部族地区)」に入り、アフガニスタン国境から3キロ手前まで続く。この一帯がカイバル峠で、国の力が及ばない、世界最大の部族といわれているパターン人の世界だ。
彼らは、直接中央政府の管轄下に置かれ、部族の掟による自治に任されている。国の法律が適用されるのは、カイバル峠の国道上だけで、「ズィルガ」と呼ばれる部族会議により自治が成り立っているのだ。
曲がりくねった峠を、バスはゆっくりと上って行く。小銃を持った兵士が、一定間隔に見張っている。
行く先々には検問所があり、その度にバスは停められた。検問所には、銃で身構えた数名の兵士が待機している。バスに乗り込んでチェックする兵士もいるが、だいたいが、我々の護衛官との目くばせで終わってしまう。ガイドのGさんからは、「パスポートの検査があるかもしれません」と言われていたが、そんなこともなく慣れ合いで通過できた。
中央分離帯に植えられた、キョウチクトウやブーゲンビレアの花々や、柳の街路樹の緑が鮮やかだ。



峠の頂に着いた。マイクロバスを降りて、先ずは記念撮影をする。何度も本の写真で見たことのある情景が、今眼前に広がっている。谷間を挟んで、くねくねと曲がった舗装道路が川のように延びて、アフガニスタンの山間に消えていく。
このカイバル峠を下って、アフガニスタンの国境に最も近い、パキスタン最後の町・ランディーコータルに向かう。この渓谷の一番狭いところは、35mほどしかない山々に挟まれた地である。途中、谷に落ちてばらばらになったトラックを目にして、ヒャリとした。
埃っぽい、ランディーコータルの町へ入る。道路の両側には、バザールが広がっている。衣類や食べ物屋などの露店が多い。店はどこも、豊かな品物で溢れている。それもそのはずで、政府の力が届かないバザールは抜け荷の山だ。車窓からは見分けられないが、日本製の時計や電気製品が多いという。
さらに、マイクロバスは下って行く。5kほど行ったところに、開けた展望地があった。
駐屯地で、レンガ造りの三階建の大きな建物が建っていた。ここが我々が国境に近付ける、限界の区域だという。ここから3k先に、アフガニスタンとの国境の地トルハムがある。
両側から、不毛の荒々しい山々がせり出している。手前の山がパキスタンで、後ろの高い方がアフガニスタンである。やや開けた国境の谷間には、植林されたかのような緑が広がっていた。
わたしの傍に、ここを警備している2人のパキスタン兵が近寄ってきた。若い長身の兵士は、自動小銃をわたしに持たせてくれ、一緒に写真に収まった。
初めて手にする自動小銃は、ずっしりと重かった。むろんわたしは、その銃口をアフガニスタンには向けなかった。





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