飛び起きて驚愕・朦朧


慌てふためいて、バスに飛び乗る。午前6時の出発時間に、ちょうど間に合った。
20名のツアー仲間は全員揃っており、わたしが最後である。
マイクロバスは直ぐに発車し、ほっと溜息をついた。
バッグを足元に置き、手にしたシェーバーで髭を剃る。そう、シェービングする時間もなかったのだ。顔も洗わず、ホテルの部屋から飛び出して来たのだった。

5時20分にモーニング・コールがあったはずなのだが、わたしは目覚めなかった。それから10分後なのだろう、ドアをノックする音で目を醒ました。
パジャマ姿のまま慌ててドアを開けると、ボーイが立っていた。
目を丸くしているボーイと、しばし顔を見詰め合った。起き抜けの頭はぼんやりとしており、二日酔いの頭は朦朧状態だ。ややあって、ボーイが怪訝な顔をして言った。
「ジャスト・モーメント(ちょっと、待って)?」
その声に、自分がパッケージ・ダウン(トランク出し)をしないで寝過ごしてしまったことに気が付いた。わたしは声高に、語尾を上げてボーイに言った。
「イエス・ジャスト・モーメント・プリーズ」
ボーイは、頷いて去っていった。
ドアを閉めてからが、わたしは大慌てだった。トランクを開け、スリッパを放り込み、着ているパジャマを脱ぎ捨て、着替えを終えた。忘れ物のないように、部屋を見回してから、トランクを閉めて鍵を掛けた。
この間、夢中だったのでどのくらいの時間がかかったか分からないが、がむしゃらにパッキングしたので、さほど時間がかからなかったものと思う。前日ホテルに着いてから、ほぼトランクに詰めておいたので救われた。
わたしは今までのどの旅でも、だいたいがモーニング・コール前には起きているのだが、こんなに慌てて出発の準備をしたのは初めてだった。今日は、前夜のアルコールが、わが耳を塞いてしまったのだ。
それにしても、昨夜はよく飲んだ。
シルクロードの旅の最後の夜となって、少々はしゃぎ過ぎたようだ。
炎暑の10日間のタクラマカン砂漠の旅は、ハードだった。ツアー仲間たちが次々と体調を崩していくなか、幸いにしてわたしは、まずまずだった。
旅の最後の晩餐は、北京のレストランである。美味な北京ダックに舌鼓を打ちながら、チンタオ・ビールが喉を唸らせていった。賑やかな食卓に、Aさん夫妻からラオチュウの差し入れがあった。もともとわたし好みの中国酒でもあるが、体調が悪くて飲めなくなった人の分まで戴くことになった。「有り難や、有り難や……」と、呑兵衛の意地汚さがもろに出て、我が胃袋は恵比須顔だった。
さらに、添乗員のOさんと二次会へ。一杯が二杯と、話が弾むほどにグラスも進んだ。旅の最後の夜とあって、Oさんも饒舌だった。

バスの前席から、マイク片手にこちらを向きつつ、帰国のスケジュールを説明するOさん。その顔は小憎らしいほど、けろっとしている。それもそのはず、若いOさんは、学生時代はラグビー部だったとか。筋肉も胃袋も、一緒に鍛えたのだろう。
予定通り午前8時30分、機は北京の空港を飛び立ち、成田に向かった。

一週間後に旅行社より、一通の手紙が届いた。帰国当日の朝食を、空港へ向かうバスに積み忘れて、出せなかった旨の詫び状だった。一緒に、図書券が同封してあった。
ということは、あのときケロリカンとしていたOさんだったが、わたしと同じように、頭の中をアルコールが駆け回っていたに違いない。
「お主、まだ鍛えがたらん!」
自身を棚に上げて、心の中のわたしが呟いた。





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