ウィーンの森


賑わったウィーンの街を離れるほどに、緑が多くなってきた。
緩やかな上り坂になると、辺りはすっかり木々に覆われてくる。白樺の木々が、白い樹肌を晒していた。名前は分からないが、辺りには、杉の枝が垂れ下がったような針葉樹が多い。
バスがしばらく山道を上ると、教会風の建物の前に出た。ハイリゲンクロイツ修道院である。ここはかつて、世を騒がせたいわくつきの場所でもある。
修道院が多いという、マイヤーリング一帯。この建物は元はといえば、ハプスブルク帝国時代の狩猟用別荘だったという。
オーストリアを統治していた皇帝フランツ・ヨゼフ一世が、無類の狩猟好きの息子・ルドルフのために建てた館である。
皇太子ルドルフは、このマイヤーリングを領地として、狩を楽しんでいたようだ。その悲劇は、1889年1月30日に起きた。男爵令嬢との心中事件である。彼のハンガリー政策に対する父親との対立。皇太子妃ステファニーとの不幸な結婚が、皇太子ルドルフを追い詰めてしまい、不幸な結果を生んでしまったのだ。
壁に掛けられている絵。その狩猟姿の彼の顔からは、気の弱さが窺える。きっと彼は、ナイーブな感性の持ち主であったに違いない。
再び山道を走る。曲がりくねった上り坂は道も細くなり、木の枝が、バスのボディーを擦っている。ウィーンの中心街から僅か50分ほどで、このように深い緑に囲まれた、閑静な場所に来られるとは羨ましい。ここはウィーンの南の森だ。「森」というよりは、「山」といったほうが相応しい。日本だったらさしずめ「軽井沢」といったところだろう。
山道を曲がると、木立に囲まれた白壁の瀟洒な建物がある。ここが、シューベルト縁のレストラン「ヘルドリヒィ・ビューレ」である。
半円形の大きな入り口の上部の壁には、写真で見覚えのあるシューベルトの肖像画が取り付けてある。その下には、彼の名曲「菩提樹」の五線譜の一部が描かれていた。
シューベルトはここで、「菩提樹」の曲のほとんどを完成させたという。このレストランは、シューベルトの時代はカフェだったそうだ。
店は混み合っていたので、テラスに出る。そこもイタリア語を喋っている、年配の団体で混んでいる。わたしはコーヒー好きの旅友のIさんと、空いていた席に向かい合った。
ここは「メランジュ」というコーヒーが有名で、ウィーンの街からわざわざ飲みに来る人々が多いという。日本でいう「ウィンナー・コーヒー」で、当地ではそのような名は無いそうだ。わたしはアイスクリームを除いた、普通のコーヒーを頼んだ。チップを含めて、日本円にして約300円。どちらかというと紅茶党のわたしだが、このコーヒーは美味しかった。
森の奥へ、さらに走る。道も細く、両側の木々の梢が重なり合っている。カーブを切るごとに、バスの車体に小枝が当たる。ややあって、広場のようになった駐車場に着いた。ここからリヒテンシュタイン城まで、森林浴を楽しむ。木々や山草の繁茂する、木洩れ日の山道を歩くのは楽しい。久しく忘れていた山歩きに、浮き足立ってきた。
赤瓦で白壁がやや剥げかかった、こじんまりとした山城だ。辺りの緑とよく調和して、城のもつ荘厳な雰囲気をいちだんと誇張させていた。
華麗な、リヒテンシュタイン城をしばし遠望してから、駐車場に戻る。
緩やかな上り坂だった往路では気付かなかったが、我々はだいぶ森の上の方に来ていたのだ。木々の切れ間から遠望するウィーンの街は、四方を山に囲まれた盆地であることが、はっきりと読み取れる。






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