ブダペストの温泉


「Nホテル」からタクシーで10分余りで、ゲッレールト温泉に着いた。ドナウ川のたもとで、賑わった街の只中にある。
美術館を思わせる荘厳で洒落た造りは、とても温泉とは思えない。建物は1918年に建てられた、「ホテル・ゲッレールト」の一角にある由緒ある温泉なのだ。
旅友2人とともに重厚なドアを開けたとたん、これまたびっくりである。シックに装飾された高い丸天井と、広いスペースの中央通路。それはまるで、5つ星クラスのホテルのロビーを思わせる。
さて、どこが温泉の入り口なのか、分からない。でも、一隅にチケット売り場があり、入浴料の1000フォリント(約500円)を払うと、恰幅のいい中年女性は入り口を指差した。手前が女性で、奥が男性だ。その中間には、ガラス張りの広い温水プールがあり、水着姿の男女が水飛沫をあげていた。
階段を上がるが、どこにも温泉らしい場所が見当たらない。我々が辺りを見回していると、係りの中年氏が案内してくれた。
チケットを渡し、越中揮を短く切ったようなエプロンをもらう。個室の脱衣所で服を脱ぎ、施錠をしてもるうと、脱衣係氏は「ダウン・ステアー」と、指を下に向ける。
腰にエプロンを締めているが、フワフワとして落ち着かない。それに手拭もないので、風呂上がりはどうすればいいのだろうか? と案じてしまう。みんな同じことを考えていたようだ。Aさんが、ボソボソと言った。
「何で拭けばいいのですかね? もしタオルがなかったら、これを絞って使いますか……」
三人で顔を見合わせて、ニャリとしつつ頷き合った。
おぼつかない足取りで階段を下りた先に、シャワー室があった。ここで全身を洗ってから入浴するのだ。
二つある大浴場は、右側が38度で左側は36度と、湯温が壁に書かれてあった。わたしたちは右側に入った。久し振りの平泳ぎを披露して、浴場の中ほどに身を落ち着けた。
今日は平日の朝であるせいが、空いている。それでも次々と入ってくるので、休日には温み合うことだろう。日本人はわたしたちだけだ。
湯加減はちょうどよい。辺りを見渡す。それはさしずめ、日本の銭湯の絵と同じなのだろう、壁にはぎっしりと絵が描かれている。それに、ドーム天井も絵で、隙間のないほど埋め尽くされている。それはまるで、教会のフレスコ画を見ているようだ。じっとり汗ぱんできた。



旅をして、温泉に入ることができる幸せ。まして、温泉天国・日本ではなくて外国である。
「ハンガリーは世界的にも有名な温泉国」とのガィドブックを読んでから、「もし行けたら−−」と期待していたのだ。ブダペストだけでも、120以上の温泉があるというから驚きだ。「温泉好きの西洋人もいるもんだ!」と、独りニンマリとした。
ハンガリーの人口の約97バーセントを占める、マジャール人。その祖先は、ウラル山脈の東方から移動してきた、アジア糸の民族なのだ。概して日本人には好意的なのも、「自分だちと共通の感情が宿っている」と、信じているからなのだろう。
思い出すのは、韓国の温泉郷の、儒城温泉を訪ねたときだ。楽しみにしていた温泉とは名ばかりで、日本で近ごろ流行っている、「健康ランド」のような温泉だった。子どもたちは泳ぎまわり、銭湯のように混みあっていた。でも、異国の温泉に浸かることができて、満足だった。
だいたいが外国では、風呂は期待してはいない。いくら最高級のホテルに泊まっても、湯はバスタブなので身も心もほぐれない。
温泉好きのわたしにとって、外国の旅ではその点が不満だ。しかし、「湯は日本でゆっくり露天風呂」と割り切っているので、あまり気にはしていない。外国へ来るたびに、日本の温泉の良さを再発見するのは確かだが……。
浴場の隅には打たせ湯もあり、サウナや旧式だが、各種シャワー室、マッサージ室の施設が揃っている。
言葉は分からないが、身振り手振りで、入浴客はみんな親切だ。エプロン姿のハンガリー人の、人の良さそうな笑顔が素晴らしい。
気になっていた湯上りタオルは、出口にたくさん置いてあった。こわばった、綿のシーツのようなものだ。でもこれで、エプロンを絞って拭く、無様な行為も避けられた。
さてここは、ブダペスト。直ぐにば湯上りの一杯"とはいかない。
温泉を出てから、ドナウ川にかかる「自由橋」を渡り、「中央市場」に行く。
二階の角の立ち飲み場は、観光客らしき欧米人で混み合っていた。125円也のジョッキ一杯の湯上りビールは、喉を鳴らして通り抜けていく。
歌の文句ではないが、朝湯の後の朝酒には無常の幸せを感じる。
「湯は身を和らげ、酒は心をいやす」との、種田山頭火の一文を心の中で呟きつつグラスを傾けるのは、呑ん兵衛にとって輝く時間の流れなのだ。







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