磁器の町・マイセン



ドレスデンから西へ約30km、エルベ川沿いに中世の古い家並みの残るマイセン。ここは古都に相応しい、落ち着きと威容が感じられる町だ。
磁器工場は、道路沿いに建つ清楚な構えだった。
ドアの横のポーチ・ライトの下に薄いブルーの工場の標札があり、交差した青い剣の商標が描かれていた。
工場は、一階の「見学工房」と、2〜3階の「磁器博物館」に分かれている。工房も作業工程ごとに分かれている。各々、日本語ガイドのテープレコーダーを聞きながら、磁器の作られていくステップがよく分かる。
轆轤を回す中年男性。絵付けをする女性たち。作業をする人たちは、指先に神経を集中させ、上体は石像のように微動だにしない。ふと、陶磁器好きの妻の言葉が頭をかすめた。
「マイセンはみんな手描きだからいい」
2〜3階の博物館には、18世紀から現代までの、約3000点余りが展示されている。
我々日本人にも違和感のない、白地に青色で絵付けされたものが多い。でも、欧米人の好みそうな赤・緑・橙・空色−−−などの彩色豊かなものなども多くある。
その形もさまざまで、5弁の花びらのような大皿は独得な形をしている。
マイセンの最もポピュラーな絵でもある、「タマネギ模様」のデザイン。むろん、この絵は多い。
このタマネギに見える部分は、石榴を図案化したものという。
白地にブルーで描かれた絵は、東西の世界が入り交じっている。梅の老木は東洋的だし、カトレアの花は西洋的だ。これらを一枚の皿に描く発想が、ユニークだ。
そういえば、工場の外壁が白かったのは、白磁に似せているのだろうか?



マイセン磁器は、中国の器が原型となっている。1708年にヨーロッパで初めて、白磁器の製造に成功したのが、マイセン磁器だ。以来マイセン磁器は、ヨーロッパを代表する高級磁器として知れ渡った。
当時ザクセンのアウグスト強王は、磁器製造の秘密を守るために、マイセンの「アルブレヒト城内」に「王立磁器工場』を創設した。
町外れに工場を移したのは、1865年だという。展示品のコバルトブルーの絵付けを眺めていると、ポルトガルのアズレージョ(装飾タイル)が思い浮かんだ。
主都・リスボンを始め、大学の街・コインブラ、ワインの町・ボルドー……などなど、ポルトガルの街角のそこここに、さりげなく飾られているアズレージョ。石畳との組み合わせが、装飾タイルと実に調和している。
15世紀にアラブから伝えられたというが、16世紀にはポルトガル独自のアズレージョを生み出している。やはり、コバルトブルーの絵付けが素晴らしく、古い街並みにフィットしていた。

階段の脇の壁には、時代ごとに印された商標の「交差した青い剣」のマークが、6つの額に区分けされていた。
工場に入る前に、ドア脇のポーチ・ライト下に描かれてあったトレード・マークは、1972年のマークのものと同じだった・
わたしの瞼に甦ってきたのは、先ほど訪れたレジデンツ城の城壁だ。そこに嵌め込まれている壮大な磁器タイルの壁画は、すべてマイセンで焼かれたものである。




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