カトマンズの物売り


喧騒のカトマンズを離れるほどに、木々が増えてくる。
豊かな緑を楽しんでいるのも束の間、しだいに凹凸路が多くなってきた。
道路のあちこちに走るひび割れや小穴の群に、バスはバウンドの連続である。そのうえ、道端にはゴミが多い。ところによっては、小山となっている。これは、ゴミ収拾にまで予算をかける余裕がない現状だそうだ。でも観光を主産業とするネパールは、早急に対策が必要だろう。
見やる、幹線道路に交差している両側の道は、どこも未舗装の道路だ。雨期の今はどこもぬかるみで、深いわだちの跡が縦横に、複雑な模様を描いている。
ぬかるんだ道路沿いの両側は衣料品店が立ち並び、どこも温み合って繁盛している。
バザールを見学するためにバスを降りるとどこからともなく物売りが集まってくる。東南アジアに共通の物売りの多さは、ここも同じアジア圈だ。
無視を決め込むと、買わぬ頑なな心を相手はすばやく察するのか? 離れていく。「ちらり……」とでも目が合うと、執拗に追ってくる。それは、押し売りのような売り込み方だ。
はっきり「ノー」と言わない、「気前のいい日本人」の心を逆手にとった、巧妙な手口もちやんと心得ている。  物売りは、我々金持ち(?)日本人に完全にターゲットを合わせていることは間違いない。何度か目にしたことだが、観光地の駐車場に、欧米人のバスと同時に降り立ったときのことだ。それは決まって我々のバスだけにに物売りが駆け寄ってくるのだ。



わたしはいつも、「買わないぞ!」と心の中で念を押しているのだが、ついつい財布の紐をゆるめさせるほど、相手は売り上手なのだ。
三ヵ月前に旅したカンボジアでは子どもたちの物売りが多かったが、ここでは青年やおばさんたちが多い。
町を歩いていると彼らは、わたしたちを遠巻きにしている。一人、二人が近寄ってきて、売り物をかぎしてくる。すると、遠巻きにしていた物売りたちも、次々と集まってくるのだ。
彼らは、強引な売り方をしてこないのがいい。「買わない」と、首を横に振ると、すぐに売り物を引っ込めて離れていく。「あれで商売になるの!」と思うほど欲がない。というよりも、遠慮深い人たちだ。
しかし、なかには強引な輩もいる。 カトマンドゥの市内を観光している折、小柄な物売りの男がしつこくついてくる。肩にかけた布製の垢汚れした、かけはぎだらけの小さなバッグを大事そうに左手で押さえ、右手には黒い仏像をかぎしてきた。「いらないよ」 と首を振りながら断ると、わたしから離れていく。「やれやれ、ほっとしたわい」と思っているのも束の間、汚れた手に黒い仏像を持った先ほどのネワール族らしき男が現れる。わたしにはちんぷんかんぷんの言葉を喋りながら、執拗につきまとう。
人のよさそうな、わたしほどの年齢にみえるネワール男。他のツアー仲間には目もくれず、わたしだけをマークしている。
最初に、その仏像をちらりと見たのがいけなかったのだろう。彼はわたしの心を、一瞬にしてとらえていたのだ。アジア圈を旅するたびに、必ず一体は仏像を買っているわたしだ。
もうすでに、20分近くも離れたり近寄ったりと、同じ動作を繰り返している。避けていた目が瞬間合ったその顔は、すがるような眼差しだった。
わたしの心は彼のいちずさに動かされて、仏像を手にして眺めた。安物ではあるが、柔和な顔立ちの座像である。
千円を差し出すと、何度もなんども小さく頭を下げ、わたしに向かって拝むようにして受け取った。そして、両手の平の札を、握り締めていた。



カトマンズ盆地に都市文明を築いてきたネワール人。耕作、商店経営、工芸など、幅広く活躍してきた彼らのたくましさの礎を垣間見た思いだ。
ガイドの二十歳代のAさん。その奥さんは、ネワール人だそうだ。こちらではまだ少ない、 「恋愛結婚です」と胸を張って言った。彼の生まれ育った地は北インドだという。学生時代にネパールの大学に来て、地元の彼女との恋が芽生えたそうだ。
A君はパンジャブ人のような顔立ちなので聞いてみると、アーリア人だという。
インド文化の強いネパール。とくに結婚に関しては、「カーストの強い影響を受けるのでは……」と聞いてみた。彼は、はっきりした口調で言った。
「インドでは今でもカースト制度は厳しいですが、ネパールはだいぶ崩れています。とくに若者たちはカーストにこだわらなくなりました」
ダージリン(インド)を旅したときに、「チベット難民センター」を訪ねたことがある。そのときもそうだったが、ここネパールでも、工芸品の店を営んでいる人たちが多かった。
ダージリンよりもチベットに近いネパールでは、町を歩いている人たちはチベョト系の人々が多い。顔立ちが我々日本人に似ているので、親しみやすい。むろん、相手もそう思っているかもしれない。




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