北タイのガイドS氏


イントネーションのぎこちないところもあるが、S氏の日本語は上手だ。二年間、日本で学んだ成果だろう。
働き者の彼は、身の上話をしてくれた。     
チェンマイで生まれたS氏は、地元の小学校を出ると台湾に住み、そこで、大学を卒業した。その後、日本語学校に留学する。学校は、高田馬場(東京・新宿区)の早稲田大学の隣だったという。
学校の近くの四畳半を借りて、二年間勉強したそうだ。チェンマイの実家からは、毎月12万円の仕送りをしてもらっていたという。
二年の学業を終えてチェンマイに戻ると、親は田畑のすべてを売り尽くしていたそうだ。売ったお金を、彼の仕送りに当てていたという。
「親は教育に理解があったから、両親に感謝しています」
S氏はしんみりと言った。
彼はガイドとして、夢中で働いたという。今より観光客が多かった当時、月給を20万円以上貰っていたという。そのお金をせっせと貯めて、両親が売った田畑を買い戻したそうだ。実に親孝行の息子である。彼は笑いながら言った。
「物価の高い日本の2年間は節約の毎日で、安い袋入りラーメンばかり食べていました。タイに帰ってからは、ラーメンのように細くて長い物は、見るのも嫌いなくらい『ノー・グッド』となってしまいました」

 


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