シーギリヤの美女群


シーギリヤ・ロックの頂上へ向かって、登って行く。しだいに急登となってくる。しばらくすると、ラセン階段が前方に見えてきた。垂直に近い岩の中腹に、へばり付くように取り付けられている。この階段、旧時は竹で作られていたそうだ。今のような鉄製になったのは1938年で、植民地時代にイギリスが造ったものという。
登る階段は、長い行列ができている。日本人や地元のスリランカ人よりも、欧米人がだんぜん多い。階段の隙間から下を見やると、麓まで見下ろせる。「こんな大勢で乗って、階段が外れやしまいか!」と思った瞬間、ステップにかけた足の動きが止まってしまった。下からは、生暖かい風が吹き上げてくる。



ほどなくして、美女たちが描かれた壁面に辿り着いた。岩盤を見上げ、その華やぎに目を見張った。その鮮やかな色彩は、1500年余りも前に描かれた絵とは、とても思えない。
持った花びらを開こうとしている者。花を載せた盆を運ぶ者。引き締まった細いウェストと豊満なバストの美女たちは、詩情に満ちたファンタスティックな表情だ。その眼差しと唇は、妖艶さを漂わせている。仕草は穏やかで優しく、豊かな胸は、女体の優雅さをあますことなく伝えている。
フラッシュを使わなければ写真撮影ができるので、わたしはデジカメのシャッターを押しまくった。最後に、ガイドのアヌラさんにシャッターを切ってもらい、美女たちと一緒に記念撮影をする。
このシーギリヤ・レディーたちは、かつては500人余りが描かれていたという。しかし、長年の風雨にさらされて、現在は18人の美女しか残っていないそうだ。今の部分だけでは、何を表現しょうとしているのか分からないが、仏陀や王宮などの情景を表わしているようだ。雲の中に埋没し、仏陀の涅槃像を見るために、優雅な姿で向かうところ。王・カーシャパに迎えられるのを待っている姿……などなど。



美女たちは諸説があるが、複数の王妃や王女、侍女、側室がモデルになっているそうだ。身に着け、着飾ることがステータス、いや文化の象徴になっている現在。これは反対とも思われるが、胸をあらわにした女性が上流階級で、透けた衣装をまとった、やや肌の色の濃い女性が、侍女だという。どの美女も宝飾品を身に着け、貴族と侍女の二人組みで描かれている。
ユネスコの世界遺産に登録されている、このフレスコ画の壁面は三層になっている。先ず岩盤に、籾殻や有機繊維の混ざった粘土で、塗り固める。次に、石灰と砂を混ぜた粘土で中塗りをする。その上から、蜂蜜の混じった石灰で上塗りをして、美女たちのキャンバスが作られている。今でも鮮やかな顔料は、花や葉、野菜、木などの汁などを使っているそうだ。
狭い空間に描かれた、美女たちの姿に魅了されていると、にわかに混み合ってきた。背後から、英語で喋っている団体が近づいて来た。



ミラー・ウォールと呼ばれる、狭い回廊に出る。名の通り、岩盤の反対側には、光沢のある壁が続いている。レンガを積み上げて、漆喰で塗り固めた上に、卵の白身と蜂蜜を混ぜた石灰を塗り上げた。さらにその正面を、鏡面のように磨き上げたという。かつては、岩壁に描かれていた美女たちのフレスコ画が、このミラー・ウォールに映る仕掛けになっていたそうだ。
今では岩壁の美女たちは消え去り、鏡壁には、十世紀ごろに刻まれたという掻き疵のような、シンハラ語の叙事詩が書かれていた。
そういえば、先ほどシーギリヤ・ロックを遠望したとき、黒い岩の中腹に、薄茶色の岩が真横に伸びていた。そんな、ベルトのようになった部分が、ミラー・ウォールだったのだ。

 


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