英国文化を残すヌワラ・エリヤ


海抜1880メートルの高原の町ヌワラ・エリヤ(スリランカ)は、イギリス植民地時代は、避暑地として栄えていた。首都のコロンボが蒸し暑くなる、3月から5月。植民地総督は、毎年、ヌワラ・エリヤに政府を移していたそうだ。
当時の名残として、コロニアルホテルや、競馬場、ゴルフ場など、イギリス植民地の伝統を、今に伝えている。特に、町を囲むように広いスペースのゴルフ場は、アジアで最初に造られたゴルフ・コースとして、知られている。



車窓に見えてきたヌワラ・エリヤ湖は、霧に煙っていた。そんな湖の神秘的な情景は、熱帯の地とはとても思えない。雨脚がいちだんと激しくなり、車窓からの眺めが遮られてしまう。湖畔をバスで周る。
ビクトリア・パークに着くころ、小雨になった。しかし、傘をさしながら園内を巡るのは、我々グループだけだ。さしたる見るものもないが、晴れていれば、高原の清浄な空気を吸い込んで、緑を眺めているだけでも心が晴れてくるだろう。わたしだけではなく、みんな無言で歩いている。肌寒くて、肩をすぼめてしまう。熱帯の国スリランカとは思えない。
日本庭園の区域は、他の洋式庭園に比べて木々が繁茂している。やはり、自然な姿の樹勢は、心を落ち着かせてくれる。しかし、何か物足りない。「何でだろう?」と、見渡してみた。
松の木も日本のものとは違って、葉が長い。それに、日本の庭で見たこともない木が植えてある。「そうだ! それだけではない」と気付いた。



日本庭園を形作る、築山である。石の組み合わせと起伏で、自然美の基礎が造られるのだ。このような平坦な地では、洋式庭園に近くなってしまうだろう。
ビクトリア・パークを出てから、町を歩く。
100メートルほど先に、イギリス風の民家のような家が建っている。この町で一番古い建物で、1828年の植民地時代に建てられたものという。今は、郵便局になっているので、入ってみた。思っていたよりも、内部は広い。ロビーの中央には、縦長の古めかしいポストがあり、今でも使われていた。売店コーナーでは、記念切手や初日カバーなどを展示即売していた。



賑わった市場を歩いてみる。狭い両側には、食料品や衣類、日用品を売る店がひしめき合っていた。魚屋を覗くと、小さなアジやサッパ。それに鰆やボラのほか、見慣れないベラのような赤魚が多かった。
果物屋の店先には、バナナの王様といわれている、赤バナナが吊るしてあった。店の青年と値段交渉をする。彼は小さな萎びかかったものを、1本20ルピー(25円)以下には値を下げない。食べてみたいとは思ったが、日本価格に吊り上げられているようで、買う気が失せた。交渉決裂。
「ヌワラ・エリヤ銀座」といわれている、繁華街を歩いていたときだ。一軒の店を指差したアヌラさんは、言った。
「あそこはパブです。欧米人の観光客で賑わっています」
飲み屋らしからぬ、地味な構えの店を見ながら歩いていく。すると彼は、わたしの耳元で言った。
「今晩行きますか?」



わたしは、ニンマリとした。そんなイエスのサインと見たアヌラさんは、頷いた。
近くのスーパー・マーケットで、「アラック」があるというので、土産に買ってからホテルへ戻った。
椰子酒「アラック」は、アラブが起源という蒸留酒だ。度数は30〜40度で、ウィスキーほどだ。蒸留していない「ラー」はビールほどの度数なので、同じ椰子酒でも味が違うだろう。飲んでみるのが、楽しみだ。
    
    



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