強風吹き荒ぶ宮殿の頂


スリランカのジャングルの大地に聳える岩山。その麓から、階段を登り切ると広場に出た。見上げる眼前には、巨大な岩壁がそそり立っている。ここが、宮殿への入口である。
「ライオンの入口」と呼ばれている石段の両側には、ライオンの爪の形をした石像がある。かつては頭部があり、ライオンが口を大きく開けて座っている形になっていたという。その喉から入って、要塞でもある宮殿へと登ったのだ。今では頭部は砕けてしまい、レンガ組みの入口となっている。
この「ライオンの喉」は、シーギリヤとの地名の由来でもある。ライオンをシンハラ語で「シンハ」。つまり、「シンハギリヤ」が「シーギリヤ」に訛ったものと言われている。



ライオンの喉に吸い込まれるようにして、急な階段を登って行く。やっと擦れ違いできるほどの鉄製の階段が、岩肌に沿って続いている。登る人、降りる人……大混雑である。その間を擦り抜けて、レンガを担いだ素足の青年が行き来している。宮殿の修復をしているようだ。
先ほどより気になっていたのが、岩肌に着く、異様で巨大な黒い塊だ。岩壁のそこここに着いている。階段伝いに最接近したとき、わたしは300ミリの望遠レンズを通して、カメラのファインダーを覗いてみた。何と、黒い塊は波のうねりのように、うごめいているのだ。背後から、アヌラさんが言った。
「蜂の巣です。スズメバチです」
わたしは瞬間、胸の内でパチンと指を鳴らしながら、頷いた。シーギリヤ・レディーを描いた、上塗りのキャンバスに塗られた蜂蜜。ミラー・ウォールの正面に混ぜた蜂蜜。それらの蜜は、きっと今あるようなこの岩壁の蜂の巣から、採取されたに違いない。



往時はこの辺一帯が蜂の楽園であったのかもしれない。せっせと蜂たちに働かせて蜜を集めさせ、それを利用したのだから、その傑作も、彼らとの共同作品ともいえるだろう。
岩肌にへばりつくような急斜面の階段を、汗を流しつつ登ると、頂上に着いた。吹き飛ばされそうな強風を受けて、汗もすぐに引いた。
辺りは土台石が残っているだけだ。茶色の石と石との間の白い接合剤が、鮮やかな幾何学的な模様を描いている。その一角には、「ROYAL PALACE(王宮)」と書かれた、一枚の看板が立っていた。
宮殿は、土台と一階の建物には岩を使ったが、その他の部分は、熱帯産の木材が使われていたという。そのため、木材部分の建物は、今では残っていない。辺りに見られる土台石は、王宮や兵舎だったものだ。
岩石とレンガで組まれた、沐浴場のような槽ある。その方形の大きな浴槽には、満々と水が張ってある。ここは、王のプールだったという。



近くでは、数人の男たちが、崩れかけたレンガ組みの補修作業をしている。先ほど、レンガを担いだ若者たちと階段で擦れ違ったが、ここまで運んでいたのだ。
近くに玉座がある。大理石なのだろう、ベッドのように大きく滑らかな表面は、陽射しを受けて艶々としていた。周囲は、レンガ組みの壁で囲まれている。
眺めの良い一隅は、見張り台になっていた。岩を丸く刳り貫いた、小さくて浅い洞窟となっている。
山の斜面の一角に、今にも転げ落ちそうな、巨大な岩石がある。この岩の群れは、投石用のものだという。そんな危な気な状態で、1500年以上経った今でも、バランスを保っているのだ。
足元の岩間には、白い花がこちらを見上げていた。その細長い花弁は、風車にそっくりな形をしている。「風の強いここは、風力発電ができるなあ……」と思いつつ歩いていたので、純白の花が、わたしに応えてくれたようだった。



そういえば往時、風車を使ってこの頂まで、水を汲み上げていたという。そんな風力利用の給水設備は5世紀ごろであり、実に進んだ技術に驚かされる。
この王宮、いや要塞は、父殺しの王・カーシャパによって、1500年前に造られた。弟モッガーラの復讐を恐れたためと、父を殺した後悔と苦しみが入り交じった孤独さのなかで、築いたといわれている。そのために、誰にも到達できないシーギリヤ・ロックを選んだのだ。しかし、わずか11年、この地を統治したに過ぎなかった。
カーシャパ王はアヌラーダプラを統治し、広大な貯水池を建造した、ダートゥセーナ王の長男だった。異母の弟・モッガラーナの母親は王族の血筋だったが、カーシャパの母親は、平民だった。カーシャパは、王位継承権を弟に奪われることを恐れて、父を幽閉して王位を剥奪したのだ。



結局、カーシャパ王は、短剣で喉をかき切って自害したという。その後、弟のモッガラーナは、この王宮を仏教僧に寄進したそうだ。ここはもともと、古代からの仏教僧たちの修験場だったという。
ジャングルの中に埋もれていたシーギリヤの発見は、2人のイギリス人だという1853年に、岩山の発掘作業をしたのがきっかけだそうだ。カーシャパ王が死んでから、約1400年後のことである。
強風が吹く王宮からの眺望は、素晴らしい。380度の展望である。
青々とした重畳なジャングルが、どこまでも続いている。真下には、歪んだ円形の池が、水面を光らせていた。その周辺には、民家が点在している。その先にある小さな池は、こんもりとした緑に囲まれ、それはまるで宝石のように輝いていた。



象の形をした「エレファント・ロック」は、うっそうとした樹林の中で存在感を誇示しているように、どっしりと構えている。遠方の小高い山々は、紫色に霞んでいる。
生臭い歴史を秘めた王宮跡の頂から、しばし、大自然の絶景を堪能した。
静寂を断ち切っているのは、風の音だけが。往時カーシャパ王は、どんな気持ちでこの壮観な自然と向き合っていたのだろうかと、憂慮した。
風にあおられるようにして、下山した。麓に来ると風は止み、暑さが戻って来た。
駐車場に戻ると、バスの前に若いドライバーたちがたむろしていた。一人の青年が、わたしを見て言った。
「カンフー」
訊くと、髭を生やしたわたしの顔が、香港映画の「カンフー」に出てくる男に似ているという。
 
   


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