いきなり揺れだした。知り合いの家での宴たけなわのときである。
向かいのテーブルの人々は皆、呆然としながら上を見上げた。わたしは、後ろを振り返った。すると、テーブルに向き合った人達は、一様に丸い目を剥き出しにして、慌ただしく辺りを見渡しながら、そわそわとしていた。天井のコソクリートは四方に亀裂が入り、割れ出した。周りの壁も、ひびが入った途端に崩れ始めた。すると、どこからともなく土壁を入れた器を片手に持った職人が現れた。職人は、崩れ落ちて骨だけになった、揺れている壁に向かって補修を始めたのだ。しかし、揺れが増々激しくなって、すべての壁や天井が落ち始めた。そのとたん職人や宴席の人達は、蜘蛛の子を散らすようにして逃げ出した。
わたしは、「ウワー……」と、悲鳴ともつかぬ声を出しながら、外へ逃げ出した。
そこで目が覚めた。



わたしは床の中だった。「夢でよかった……」と、ほっとした。前日の夜中に大きな地震があったので、心配しながら床についたために地震の夢を見てしまったようだ。
いい夢を見た朝は、目覚めもすっきりとして、一日中気分もよく過ごせるものだ。夢を見るなら、楽しい夢を見たいといつも思っているのだが、なかなか実現してくれない。
近ごろのわたしの夢は、あまり楽しい夢を見ない。むしろ悪夢である。スナックで酒を飲んでいて、喧嘩になったり、ときには暴力団まがいに、刀やピストルを持って渡り合ったりしている夢である。きっと、テレビの刑事物のドラマを見てから床に入ったときに、その余韻が夢に繋がっているのだろうか?
「何の夢を見たの……」
翌朝、女房が言った。わたしのうなされた声に、夜中に目を覚ましたという。
釣りに擬っていたころは、よく魚の夢を見た。幻の石鯛を釣ったことや、黒鯛の入れ食いにあったことなど。いつも釣れないので、大漁の夢である。目覚めた時には汗びっしょりになっていたこともあった。そんなときには、「夢だったのか……?!」と、がっかりしたものだ。
鱗翅学会に入って蝶の勉強をしていたころは、蝶の夢をよく見た。花の咲き乱れた蝶の楽園で、珍蝶を追って、子どものようにネットを振っている夢である。それに、房総半島のルーミスシジミと、南米のメタリックな輝きを放つモルフォ蝶とが、一緒に飛び交っている夢を見たことがある。夢の中であってこそ、実現可能の情景である。



夢の中で、現実か? 夢か? と、いつも迷ってしまうのがトイレに行く夢である。
子どものころは、気持ちよくトイレに行ってほっとして目覚めると、白いキャソバスに地図が描かれていたことがあった。しかし、大人になってからのトイレの夢は、このようにスムーズにトイレまでの直行はない。トイレがなかなか見つからなかったり、ドアが開かなかったり……と。あげくの果てには、建屋の間に飛び込んで電柱の前に立ったとたん、誰かがこちらに向かって来たりと、必ず妨害が現れる。そのために目覚めて、布団を跳ね除けてトイレに立ち上がるのである。実に都合よく進展する夢である。
5、6年前までは、鳥のように飛んでいる夢をよく見た。しかし、近ごろこの夢はご無沙汰である。常々、「鳥になりたい」と思っていたわたしは、この夢を見た翌日は身も心も軽やかになる。
「鳥になろう、鳥になろう……」と自己暗示をかけながら床につくこともある。しかし夢は、わたしの夢を実現してはくれない。夢とは異なものである。
 
   


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