島の石窟寺院


高さ200mある岩山の頂付近に、第1窟があった。

島内には7つの石窟寺院があり、シヴァ神をテーマにした浮彫像が、各石窟に残されている。どれも6世紀から8世紀に刻まれたもので、1987年に世界遺産に登録されている。

がっしりとした、太く頑丈なたくさんの柱に支えられた、薄暗い第1窟。その壁面に目を凝らすと、おびただしい数のヒンドゥー像が刻まれている。シヴァの神話の世界が、彫刻で表現されているのだ。奥の一室には、巨大なリンガが安置されていた。




ここは、エローラの第29窟と似た形式で、高さ6m、広さ40m平方の空間は、20本の石柱で支えられている。

この窟での見所は、奥壁中央に彫られた、高さ5,7mのシヴァ神の三面上半身像だ。正面も横顔も、穏やかな尊面である。その他、踊るシヴァ神像や、パールヴァティーの婚礼の像などが、壁面に刻まれている。

中には、未完成の窟もある。岩質が脆くて彫刻ができずに放棄されたのだという。

石像のそこここに、弾痕があるものも少なくなかった。これは、ポルトガル兵が破壊したものだそうだ。

「酒を飲んで、石像に銃を向けて狙撃したのです」




ガイドしてくれたR女史は、顔をしかめて話していた。

多くの像がポルトガル人によって破壊されたが、破戒の少なかったのが第1窟だったという。

エレファンタ島はその昔、ガーラープリー島と呼ばれていた。しかし、16世紀にポルトガル人がこの島に上陸した際、海岸の近くに象の石像があったことから、エレファンタ島と名付けられたのだ。その石像は現在、ムンバイ市内にある「ヴィクトリア庭園」に保存されているそうだ。




木々の茂った岩山の石段を下り、港へと戻る。朝はまだ、道の両側のどの店も閉まっていたが、すっかりと準備の整った店の売り子たちは、右から左から声をかけてくる。

かなり高齢のオバサンは、手の平を差し出しつつ「フォート・フォート」と言いながら近づいてくる。自身の写真を撮って、モデル料をくれないかと言っているのだ。しかし、誰もがそ知らぬふりをして、カメラを向けなかった。


   


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