さまざまな特徴を持つ石窟


第2窟も、同じくヴィハーラ窟だ。つまり、僧侶たちが居住していた僧院窟である。中規模だが、保存状態が良い。ここでは仏陀の前世を描いた、ジャータカ(本生譚)を題材にした壁画が、多々見られる。

王妃マーヤーの仏陀懐妊図や、誕生したばかりのシッダルタ王子の傍で見詰める、マーヤー王妃。それに天井装飾も、鮮やかな彩色で残っていた。

第3窟から第五窟は、未完成に終っている。それは、内部に断層が横切っているために、壁画を描く前に放棄されてしまったのだ。



第6窟は、唯一の二階建て窟院だ。二階の僧房の扉には壁画が僅かに残っており、煤で黒くなっているのは、僧侶たちが使った痕跡である。

アジャンターで最古の仏塔を祀るチャイティヤ窟が、第10窟だ。紀元前2世紀に開窟され、第9窟よりもさらに簡素な造りである。奥には仏塔があり、菩提樹に祈る王や王妃の壁画が残っている。

ガイドのG氏が、柱を指差している。近づいて見ると、疵のような落書きが残っていた。だいぶかすれてはいるが、英文字が印されている。これは、このアジャンターの石窟を発見した、ジョン・スミスの書き残したものである。

ジャングルの中に一千年以上も眠っていた、アジャンターの石窟群。コルカタ(マドラス)駐屯のイギリス騎兵隊士官の彼によって、偶然に発見されたのだ。

それは、1919年4月の終りのこと。雨季前の猛暑にもかかわらず、若い士官は、非番のときに虎狩りに出かけたそうだ。村の少年の道案内で、虎の隠れ処となっていた渓谷に出る予定だった。その途上に、廃墟となった石窟を見つけたという。




だいぶ剥脱はしているものの柱や壁面には、鮮やかな緑や赤、青色に彩色された、仏像の壁画が残っていた。千数百年前に描かれたものとは思えない、鮮明な画像である。しっかりとした、素地の上に描かれたからであろう。ここで使われた下地の漆喰は、粘土と石灰、稲、アカシアゴム、それに卵などを混ぜ合わせて作られている。

少々いびつな第11窟から第15窟までは、未完成窟などを含めた、ヴィハーラ窟である。僧房を覗いてみると、一段高くなった石のベッドがあるだけで、実にシンプルな部屋だった。石ベッドを含めて、二畳ほどの広さで、入り口が唯一の明り取りとなっている。

北上したワーグラー川の流れが、折れ曲がって南に向かう。そんなヘアピン・カーブのような、渓谷の断崖にあるのが第17窟である。アジャンター地方を治める藩主が、5世紀に開窟したヴィハーラ窟だ。壁画の保存状態が最も良い窟といわれている。



入口から内部全体に広がった、鮮明な色彩の壁画に圧倒される。そのモチーフのほとんどが、ジャータカを描いていて、豪華な宮廷生活も垣間見ることができる。豊満な乳房をあらわにした女性は、体中をアクセサリーで飾っている。そんな姿は、往時の宮廷でのふつうの姿だそうだ。

見上げる天井の隅々にまで、壁画は残っている。中央には六人の天女が、輪になっていた。

入口近くの壁画を撮影していると、背後から声がする。振り向くと、大柄な欧米系の青年が立っていた。手にしたわたしの小さなデジカメを指差しつつ、メーカーと型式を訊いてきた。デジカメの中でも特に小さいもので、わたしはサブ・カメラとして持ち歩いているものだ。

彼はさらに価格を聞いてきたので、メモを取り出して、ドル換算で書いて彼に見せる。青年は、大きく頷いて納得したようだった。

渓谷の下流から、第1窟、第2窟と名付けられているアジャンター石窟群。その「アジャンター」との名は、近くの村の名をとって命名されたそうだ。




アジャンター石窟の歴史は、紀元前2世紀に仏教僧が住みついたのに始まっている。僧たちは雨季をしのぐために、渓谷の岩地を掘り、ヴィハーラ(僧院)とチャイティヤ(塔院)を造ったのだ。

この地を修行の地に選んだのは、南北を結ぶ交易路が近くにあり、食料や生活物資が入手し易かったからだという。また、交易路から適当に離れていて、修行の場として相応しかったからのようだ。

酷暑のインドでは、涼しくて瞑想に適した場所が石窟であり、仏教修行者に好まれていたのだ。仏教が極端な苦行を廃し、静かな瞑想を重んじたことが、仏教と石窟との結びつきを強めるようになったのである。

6世紀建造の第19窟は、後期チャイティヤ窟だけに、装飾は複雑で巧みだ。内陣の大きなストゥーパは、仏像と一体化している。その周囲の列柱の彫刻も見事で、馬蹄形の窟の正面には、それぞれにポーズを変えた仏陀像が並んでいる。入口上部の採光窓から入る光は、仏像を照らしていた。窟内は明暗の部分に分かれ、幻想的なムードを漂わせている。






窟院を出ると、サリーやパンジャービードレス姿の高校生、それに大学生のグループで混み合っていた。わたしがカメラを構えていると、その前に笑顔で集まってくる彼女たちだ。青年たちも、遠慮がちに近づいてきて後部列に並ぶ。パンジャービードレスを着たツァー仲間のHさんと、わたしの間に入ってくる積極的な娘もいる。彼女はスクール・メートに、シャッターを切ってもらっていた。若者たちは実に明るくて、笑顔が輝いている。

無数の仏像がある第26窟も含めて、第20窟から第28窟までは、ほとんどが未完成の窟だ。このほか、1956年に発見された未完成窟があるという。




第26窟は未完成だが、6世紀以降に建造されている。また、アジャンターで最後まで開窟作業が続けられた、チャイティヤ窟だ。繊細な彫刻が刻まれた華麗な窟には、全長7・2メートルで、インド最大という涅槃像が横臥している。その奥には、瞑想中に悪魔マーラーの誘惑と闘う、仏陀の姿が彫られていた。

石窟を出た付近から、ワーグラー渓谷が一望できる。川の流れに沿って木々の緑は多いが、石窟側は焦茶色の岩肌を晒していた。その岩棚の窪みには、僅かの潅木と草が生えているのみである。

背後には木々もまばらな、デカン高原の小高い山々が連なっている。



   


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