二等寝台車でサーンチーへ

アジャンターの遺跡を後に、鉄道駅のあるブサワルへと向かう。午後8時15分発の夜行列車で、サーンチーを訪れる予定である。
道路沿いには、綿畑が続いている。マンゴー畑も点在している。このマンゴーは、8月ごろに実ったものが美味しいようだ。この辺は、気温の高いときは50度前後にもなるという。暑い地域であるが、マンゴーの栽培には適しているらしい。
1時間ほど走ったところで、小さな町の小奇麗なレストランに入る。乗車時間の関係で、忙しない夕食を済ませるや否や、駅へと向かう。今日は、列車が混み合っているという。少々せっかちな、ガイドのG氏らしい先手管理である。
暗闇の道路を30分ほど走ると、ブサワル駅に着いた。G氏が言っていた通り、駅の周辺からごった返していた。
どこも薄暗くてはっきり見えないが、ポーターたちは大きなトランクを頭上に載せて、走り回っている。我々のトランクも、すぐに運ばれていった。
ホームも、溢れんばかりの人、人、人……である。トランクは纏めて車内に持ち込むようで、G氏と六人の若者のポーターたちと、搬入方法を打ち合わせている。
近くにいたポーターたちが傍に来て、わたしの髭を指差しながら、「グッド、グッド」と言いつつ、ニヤニヤしている。先ほど、G氏が笑いながら言っていた言葉を思い出した。
「日本とは違って、ここはインドです。列車が時間通りに来るのは、本当に稀です」
その言葉通り、列車がホームに入ってきたのは、定刻よりも40分以上遅れていた。


よく見ないとシート番号が分かり難いが、自身の寝場所が確保できて、ほっとした。それにしても、思っていた寝台車とは程遠い。コンパートメントをイメージしていたが、カーテンの仕切りもない、三段式寝台である。わたしの塒は、出入りし難い最上階である。
手摺を継ぎ足したようなステップは、上り難い。滑らないように注意しつつ、攀じ登る。係りの青年が、毛布とシーツを運んできたのは、だいぶ時間が経ってからだった。
三階のベッドで横になっていると、隣の寝台にいるA氏のお誘いがあった。ちょうど退屈していたところなので、ありがたく訪ねた。
A氏と奥さんと、その友達がいる席に、わたしが加わって、4人での寝台パーティーが始まった。A氏は、スコッチ・ウィスキーを準備してあった。
あいにく、誰もグラスを持ち合わせていなかったので、それぞれに、ミネラル・ウォーターのキャップを代用する。揺れる列車の中、小さなキャップに注ぐときに、こぼしてしまう方が多い。そんなママゴトのような仕草に、顔を見合せて笑い合った。旅のエピソードなど、時間の経つのも忘れて話が弾んだ。
後で知ったことだが、インドでは列車内での飲酒は、禁止されているそうだ。そういえば、通路を通り抜けて行くインド人たちは、怪訝な顔をしていた。

   


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