七度の都

「七度の都」のデリー王朝史
紀元前3世紀のアショーカ王の時代、まだ田舎だった古代デリー。そのデリーが注目されるようになったのは
13世紀のことである。中央アジアから南下してきた、イスラム勢力の支配が始まってからだ。
往時、奴隷王朝から始まって、ハルジー、トゥグルク、サイイド、ロディーなど、「デリー王朝」と呼ばれる5つの王朝が統治していた。
デリー王朝はアフガニスタンの主要民族の名をとって、「パターン朝」との別称もあった。しかし厳密にいえば、ロディー朝はアフガニスタン族の一部族である。ロディー族で、トルコ系ではないので、この呼称は正しくない。
ロディー朝を倒したのがバーブルで、この地でムガル帝国を築いて、初代の皇帝となったのだ。
ムガル朝を、文字通り帝国に造り上げたのは、第3代皇帝アクバルだった。イスラムとヒンドゥ両教徒の融和を計り、帝国の基礎を固めたのだ。しかしアクバルは、都をデリーからアグラへ移してしまった。
ムガル帝国の中枢がデリーに戻ったのは、第5代皇帝のシャー・ジャハーンの時代である。ラール・キラー(レッド・フォート)や、「デリーの銀座」といわれるチャンドニー・チョウク、ジャマー・マスジッド。これらのオールド・デリー地域は、彼が築いたのだ。
マハーバーラタに出てくる神話の王都から、中世のイスラム諸王朝や、ムガル帝国までの「七度の都」の時を経て、20世紀に現代のインドの首都となったデリーである。





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