デリー征服の記念塔


 デリー征服の記念塔
フマユーン廟から30分ほど車に乗り、ニュー・デリーの南郊外へ約15キロ行くと、塔が聳えている。1993年に世界遺産に登録された、「クトゥブ・ミナール」である。
遺跡の周囲には大樹が茂り、一帯には芝生が敷き詰められており、よく手入れされた公園のようだ。
ひときわ高い、バランスのとれた五層の丸い塔は、天に突き上げるかのように伸びている。この塔は、奴隷王朝のクトゥブッディーン・アイバクが、デリー征服の記念として、1200年に建造を始めた。彼の後継者である、イールトゥートゥミシュ(アールタミシュ)が完成させたものだ。
基部の直径は15メートルで、高さは73メートルある。かつての塔は100メートルあったというが、飛行機事故で上部が破壊してしまったという。


五層ある塔の下三層が赤砂岩で、その上部は大理石と砂岩とを組み合わせて造られている。その外壁には、コーランの文句を図案化した彫刻が刻まれている。各層の間には、バルコニーがある。眺める塔の部分は、鉢巻をしたようになっている。内部には螺旋階段があり、上ることができる。しかし、入場は禁止されていた。それは1982年に、遠足に来た子どもたちが螺旋階段をなだれ落ちて、大勢圧死した事故があったからだという。


塔の脇には、モスクがあった。「クワットゥル・イスラーム・モスク」で、インドの地に造られた最初のモスクであり、塔と同じ時代に造られたものだ。
このモスクは、破損したヒンドゥ寺院の石材を用いて造られている。壁面を見ると、所々にヒンドゥ教の像が残っており、ガネーシャ像も残っていた。排他的ではなくて、実におおらかだ。それは、ヒンドゥ様式とイスラム様式との混淆となり、ここに新たな、インド・イスラム様式が誕生したということである。


モスクがある中庭に、高さ7メートルほどの鉄柱が立っている。これは、4世紀のグブタ朝時代に造られたといわれている。鉄の純度は100パーセントで、不純物の無い純鉄なので、未だに錆びないそうだ。全体に黒いその鉄柱は、人の手が届く部分はテカテカに光っていた。
「皆が撫ぜるので、錆びるひまがないのでは?」と思ったが、手の届かない高い部分も赤錆もないので、純鉄論が無錆を証明しているのだろう。



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