猫好き


我が家に4匹の猫がいる。毎日顔を合わせていると、それぞれの可愛さが伝わってくる。
ひいき目に見ても、どの猫もヤヤブスである。でも愛嬌のある、個性的な顔立ちが好い。
言い忘れたが、その4匹の猫は、猫好きの妻が飾っている置物である。
パッチリとした、丸い目の猫。キツネのように目の細い2匹の猫。そんな3匹は、招き猫だ。残りの1匹は、バリ島で妻が買ったインドネシアの猫。赤い縞の入った尾を前で丸めた、目の大きな猫である。どれも10センチほどと小さくて、ともに座っている。
わたしはもともと猫はあまり好きではなかった。子どものころ、飼っていた鳩や金魚を食べられたことを思い出すと、「泥棒猫」のイメージが強いのだ。でも一匹ずつ、妻が増やしていった猫たちと接しているうちに、いつしかわたしは猫に接近していった。
近ごろは、近所を歩き回っている猫に興味を持ち、観察したり、猫の本など買い求めて読むようになった。そのおかげで、今までわたしの知らなかった猫の世界を知り、その意外さを発見したのだ。
子どものころ猫を飼ったという妻は、本当は生きた猫を飼いたかったに違いない。でも我が家は、とかく家を空けることが多いので、生き物を飼えないことを妻は重々承知しているのだ。それに外に出歩き、隣近所の猫害を考えると、妻に置物で我慢してもらうしかない。邪魔にならない程度に増やすのなら、いくら増やしてもかまわないと思っている。
深川(東京)に住んでいる実姉も、子どものころから猫が好きだった。でも父母から、「家では飼ってはいけない」と言われていたので、姉は近所の猫たちをかわいがっていた。わたしを見ると逃げる猫とは反対に、姉には、甘えた猫撫で声で擦り寄っていくのをよく目にしたものだ。
姉は今、好きな猫に囲まれた生活をしている。部屋での放し飼いであり、それぞれの猫の居場所が決まっている。「猫っ可愛がり」もせず、ごく自然に家族と共存生活している。
そんな、大の猫好きの姉は、自身の名前も「赤いこねこ」と名乗っている。むろん実名ではなく、同人誌に詩を投稿するときのペンネームだ。もっとも、赤い子猫など見たこともない。どうして空想的なペンネームを考えついたのか、その由来は定かではない。
猫の生態を、観察すればするほど奥が深い。変った仕草をすると、「何のため」とか「なぜ」と、探りたくなってくる。
飼い主に忠実な犬に比べて、猫は自由の身(?)でいいと思う。胃袋がいっぱいのときは人には近づかず、自身の生活を謳歌している。空腹になると、食料庫を持つ人を友とするのだ。ずるいというか、実に要領がいい。少々の悪さをしても、猫のかわいさがすべてを帳消しにしてしまう。近ごろ、わたしは思う。
「本当は、猫が好きだったのでは?」





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