虫たちの歌声



壁に止まっているのは、確かに虫だ。黒いゴミが付いているのかと思ったが、小刻みに動いていた。
コオロギのようだが、近寄ってみるとそれよりも小さい。長い触角を持った、クサヒバリだった。産卵管があるので、メスである。美声が聞こえないのが残念だ。
先日は、オスを見かけた。壁に止まり、自身の2倍はあろうかと思われる触覚を、小刻みに動かしつつ鳴いていた。それはまさに、ギターを片手に歌いながら彷徨う、吟遊詩人のような飄々とした風体だった。
「フィー・リリリリ……」と得意の喉を披露しながら、美人の彼女(?)を探していたのかもしれない。ラフカ・ディオ・ハーン(小泉八雲)は、その鳴き音に魅せられて『草雲雀』の作品を書いている。
庭に住み着いている、コオロギたち。「チィ・チィ・チィ……」と鳴く、オカメコオロギやクマコオロギなどの小柄なコオロギたちが鳴いている。
どこから入ってくるのだろう? コオロギは、玄関の下駄箱の下で鳴いていることもある。靴の臭気が少々気になるだろうが、歌い易くて、気に入った場所なのかもしれない。
初秋のころ、庭で鳴き始めたカネタタキは、晩秋のころになると我が家に入ってくる。
壁に止まって鳴いていたり、天井で鳴くものなどさまざまだ。
メスの体長は12ミリほどで、オスよりも一回り大きい。
オスは、「チン・チン」と鳴くと図鑑に書いてあるが、実際には「チッ・チッ・チッ……」とか、「リー・リー・リー……」と鳴いている。
初秋のころは、まだ遠慮がちな途切れ途切れな鳴き方で、ぎこちない。でも、練習を積み重ねて日を追うごとに、その響きに艶が増してくる。秋深まるころになるとその歌声は、まるでプロ歌手のようだ。
カネタタキに、起こされることもある。
かわいいカネタタキとて、このときばかりは許しがたい。それは、わたしの鼾に合わせて唄いたかったのかどうか知らないが、いい迷惑である。
カネタタキたちは無断で我が家に入り込み、自由に部屋を闊歩している。しかしわたしは、彼らを追い出したりはしない。歌手と認めており、その歌声を楽しんでいる。
彼らはそれを知ってか知らずか……家主のわたしに気を使って? そっと近づいてくる。本立ての脇や机の隅、一輪挿しの葉の上などがお好みのようだ。
寝苦しい夏の夜、納戸の方から聞こえてくるカネタタキ鳴き声。そんな歌声を聞きながら、ベッドの底に沈んでいく自分を発見することがある。それはまさに、子守唄の響きである。
庭の虫たちの、オーケストラも聞こえてくる。いちだんと甲高いのは、アオマツムシだ。その中に、コオロギたちの鳴き声も聞こえてきた。
「コロ・コロ・リーリー」と、エンマコオロギも合唱に加わっている。
いつしか、外の大オーケストラがどこかに吸い込まれていくかのように、だんだんと遠のいていく。
虫たちの奏でる子守唄は、わたしの手を取って夢の世界へと誘ってくれるのだ。




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