ボロブドゥールの遺跡


バリ島の中心都市・デンパサールから、ジャワ島のジョグジャカルタ空港までは、10分間のフライトだった。 それは、同じインドネシアでありながら、時差が1時間あるからだ。実際には、1時間10分の飛行である。 
ジョクジャカルタ郊外にある、目的地のボロブドゥールの遺跡は、車で1時間ほどの距離だ。 
昔ながらの面影を残す、「平和の町」との意のジョグジャカルタの町。「インドネシアの京都」とも言われ、ジャワ文化の発祥の地でもある。
車窓から、そんな町並みを眺めていると、ボロブドゥールの仏教遺跡に着いた。
どっしりと構えた遺跡の前に立つと、圧倒されてしまうほど巨大な寺院である。ムラピ火山などの山々に囲まれた、平原の中央にある仏跡。その高さは30mで、一辺が170mの九層の塔からなっている。
このボロブドゥールの遺跡は、世界最大級の仏跡だ。アンコールの遺跡(カンボジア)と、バガンの遺跡(ミャンマー)とともに、世界三大仏教遺跡に入っている。
インドから東南アジアに伝わった仏教は、一般に上座部(小乗)仏教だが、ボロブドゥールは大乗仏教の遺跡である。
下から見上げると、かなりの人々が仏跡を見学しているようだ。しかし広大な寺院は、人の多さが感じられない。
ボロブドゥールの階段ピラミッド状の造りは、平原の中央にあった、直径が約50mの天然の丘に盛土されたのだ。その部分に、安山岩と粘板岩を積み上げて造られている。
上り始めた基壇の上には、方形壇があり、その上に円壇がある。全体で九層あるその構造は、仏教における三界を表現しているといわれている。基壇は欲界で、方形壇が色界。円壇が、無色界である。



この寺院が創建されたのは、780年のシャイレーンドラ朝の時代だ。大乗仏教を奉じていたシャイレーンドラ王家によって、12年後に一応の完成を見た。その後、サマラトゥンガ王によって増築されている。完成までに、80年から200年間かかっているといわれている。
基壇から、五層ある方形壇に出る。縁は壁になっており、幅2mの露店の回廊が各層の巡らされている。方形壇の長さは、総延長約5kにも及び、レリーフがぎっしりと刻まれていた。それは、1460面に及ぶ仏教説話に基づいた浮き彫りである。ストゥーパ(仏塔)を巡るごとく、右繞行道の道筋に物語が刻まれている。それは、石上に描かれた経典ともいえよう。
どのレリーフも、洗練された浮彫彫刻の技法や、細部の表現は実に優雅さに溢れている。
ボロブドゥール寺院は、シャイレーンドラ王家の霊廟ともいわれている。
この遺跡は、長い間地中に埋没していたという。それは1814年のことで、当時ジャワ総督代理だったイギリス人のトーマス・ラッフルズと、オランダ人技師コルネリウスによって、密林の中で発見された。
寺院がジャングルの中に埋もれていたのは、諸説がある。先ず考えられるのが、火山の降灰によるもの。もう一つは、イスラム教徒による破壊を恐れた人々が、埋めたという説であるが、定かではない。
方形壇の五層の回廊から、中央の階段に出る。見上げる上部は、三層の円形壇になる。そこには、等身大の仏像が納められている、ストゥーパが並んでいた。
釣鐘状のストゥーパは、一辺が23cmほどの石のブロックを積み上げて造られている。目透かし格子状になった部分から、仏像を拝顔するようになっていた。そのストゥーパは、三重の円を描くように、72基が並んでいる。頂上には、ひときわ大きな塔があり、そこには、仏陀の遺骨を納めたといわれている。この中心塔は、空洞になっている。それは、大乗仏教の心髄でもある、「空」の思想を強調しているからだという。
円形壇にある、72本の説法印(転法輪印)の仏像は、釈迦如来と考えられている。これにより、ボロブドゥール自体が、仏教的宇宙観を象徴する巨大な立体曼荼羅とも、須弥山を模したものともいえよう。
回廊の壁龕の432体の仏像を含めて、ボロブドゥール全体の仏像は504体である。
方形壇の回廊を右繞行道して見たレリーフは、仏陀の前世の物語でもあるジャータカを、絵物語風に描いてあった。 しかし、この円形壇にはレリーフはない。それは幾何学的模様によって、悟りの境地を表しているからだ。



大乗仏教を奉じていたシャイレーンドラ朝は、ジャワ島中部に八世紀中葉から9世紀中葉にかけて君臨した王朝である。しかし、832年にサマラトゥンガ王が死没してから、ヒンドゥー勢力に支配されてしまい、大乗仏教はジャワから後退していったのだった。
ボロブドゥールの遺跡は、近くにある「ムンドゥッ寺院」と「パオン寺院」とともに、1991年に「ボロブドゥール寺院遺跡群」として世界遺産に登録された。
2006年5月27日には、ジョグジャカルタ付近を震源とする地震により、寺院の石塔の一部が崩れる被害を受けている。
円形壇からの展望は、実にすばらしい。
ちょうど黄昏が近づいてきたころで、焼け付くように暑かった日差しも、力を失ってきた。遠方の山々も、遺跡を取り囲む緑濃い密林も、しだいに黒い影を増してきた。
そんな自然が織り成す絵のような情景を、しばし石段に座って眺めていた。




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