メコン川に架かる長い橋



強い陽射しは、40度を超えた暑さだった。ラオスの首都・ビエンチャンに戻り、ホテルからバスでメコン川に出る。そこには、タイと結ばれた「友好橋」との名の、長い橋が架かっていた。
橋の袂でバスを降り、土手伝いに橋の上に出る。さらに、橋の中ほどのタイとの国境まで歩いていく。ここのメコン川は川幅は広く、思っていたほど黄色の濁りは入っていない。陽射しを遮るものが何もなく、帽子を被っていても、頭頂に太陽が直撃してくる。
全長1174メートルのこの橋は、1994年にオーストラリアの援助で建設された、メコン川に架かる初めての橋である。
建設前には、「メコン・ブリッジ」とか、援助国の動物名を入れて、「カンガルー・ブリッジ」といわれていたそうだ。現在は、「フレンドシップ・ブリッジ(友好橋)」と呼ばれている。
黙々と歩いていくと、川の中ほどに来た。そこがタイとの国境であり、大きな一枚の看板が歩道を遮っている。白地の鉄板には、チョコレート色のラオスの文字で、何やら書かれていた。遥か前方にも、同じような看板が立っている。その看板との間が中立地帯で、出入国管理事務所は橋を渡り終わったタイ領にある。
片側一車線の道路の脇には、それぞれの歩道があった。中央には、単線の線路が敷設(ふせつ)できるスペースがあるが、線路はない。タイのノーンカーイ側には、すでに線路が延びている。しかしラオス側は、経済事情が苦しいために線路を引き込むことができないという。



見やるラオス側の岸辺は、剥き出しの土手が続いていて殺風景だ。しかし、タイ側は賑わっている。河川敷には、海の家ならぬ水遊びができる施設ができている。黒い屋根の大きな建物が、川に沿ってずらりと並んでおり、大勢の人々が水遊びを楽しんでいた。
「国情の違いは大きい」と、欄干にもたれつつ眺めていた。
インドシナ半島のラオスは、ベトナムや中国、ミャンマー、タイ、カンボジアなど、五カ国に囲まれた内陸山岳国だ。その経済的に不利な地理的条件のため、急速な経済発展は望めないだろう。
国土は、日本の本州とほぼ同じくらいの中に、北から南まで、今目の前にしているメコン川が流れている。
その黄濁色の豊満な水を湛えた、メコン川のほとりにある首都が、このビエンチャンである。「田舎風情の首都」といわれる、人口約60万人の小さくて静かな首都だ。それでも、全人口の12〜13パーセントがここに集中している計算になるが、これだけ人口規模の小さな首都も珍しいだろう。



それに首都であっても、いまだ高層ビルの建つ気配はなく、ほとんどが韓国車だというが車の数も少ない。
街の中心部の大半を占めているのが、フランス風の古い建物と仏教寺院だ。並木道などを含め、アジアと西欧文化が融合している街ともいえよう。
19世紀にビエンチャンを訪れた、東インド会社の商人やイタリアの伝道師は、「東南アジアで最も荘厳な街」と評していたというが、現在でもその面影を見ることができる。
でも、滔々たるメコン川をじっと眺めていると、現代の時間が停止してしまったかのような錯覚に陥ってしまう。
「メコンの流れは文化の流れだ。悠久の流れのメコンよ!」
わたしは欄干に体をもたれつつ、心の中で呟いた。

 



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