古都・アグラ

デリーからヤムナー河沿いに、200キロほど下がったところにある中都市・アグラは、やや縦長の長方形をしている。町を南北に分けると、南にはアグラ城やタージ・マハル、ジャマー・マスジッドがある。
アグラの町の東端を流れる、ヤムナー河のほとりにタージ・マハルはある。河は湾曲しており、曲がり始めの場所にはアグラ城があり、やや下流の曲がり終わりにタージ・マハルがある配置だ。それはシャー・ジャハーンが、自分の居城のアグラ城から、愛妻の廟をいつも眺められるようにと設計したためである。ジャマー・マスジットは、アグラ城の西隣にある。
アグラの歴史は古く、紀元前3世紀の都市としても、古代インドの大叙事詩「マハーバーラタ」にも登場してくる。歴史的に注目され始めたのは、1504年にローディー朝のスィカンダル・ローディーの都となった以降である。
この地は、1526年にムガル朝のバーブルに奪われた。16世紀半ばには、バーブルの孫に当たる第3代皇帝アクバルの時代に、ムガル朝の都として華麗に造営されたのだ。以後、1世紀足らずの間に、帝国の中心として繁栄してきた。
しかし1638年に、ムガル朝第5代皇帝シャー・ジャハーンが、都をデリーに移す。すると、アグラの政治的な地位は急速に下がった。一時は、ジャート族やラージプート族の手に落ちた。さらに1803年には、イギリス領に編入されたのだ。
今日、アグラに残る重要な史跡は、アクバル時代以降のものが大多数を占めている。現在のアグラは、イスラム文化の香り高い古都として、教育やビジネスの中心地ともなっている。




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