首都・デリーへ

朝食に時間を費やしたが、予定通り、バスは午前8時にアグラのホテルを発った。
今日は、インドでの最後の日である。西インドのムンバイから始まって、7日目の最終日はデリーとなる。今夜の9時35分の「AL 304」便に搭乗すると、明朝の8時ごろには成田に着く予定である。
アグラからデリーまでは、210キロ余りの行程だ。昼食や小休止を含めても、7時間は優にかかるだろう。デリーに着くのは、きっと夕刻近くになるに違いない。長い移動時間となるが、車窓の風景を楽しんで行こう。
街の中心部から離れるほどに、ビルの数も少なくなり、道路も空いてきた。小さな商店が軒を連ね、道端でも店を広げている。衣類や果物、野菜を積み上げて、人待ち顔で露店の前に座るオバサン。店の脇の細い通り道には、犬が物欲し気に行き来している。この旅では猫は目にしなかったが、犬は多かった。それも、日本のような肥満犬は見かけず、痩せ犬ばかりだ。ふと、ガイドのGさんが言った言葉を思い出して、思わず噴き出してしまった。
「インドに多いのは、野良犬・野良牛・野良人です」
野良牛は都市部に多く、田舎では、ほとんどが飼牛だという。


40分ほど走ったところで、前方の沿道からやや入った場所に、白い4本の塔が見えてきた。バスから降りて、緑に囲まれた塔に近寄って行く。そこは「スィカンドラー」と呼ばれる、第3代皇帝アクバルの墓所である。息子のジャハーンギールが、1613年に建造したものだ。
紅色砂岩に、白大理石で象嵌された美麗な建物だ。その四隅に、4本の白塔が聳えている。
道路は空いているので、バスはエンジンを高鳴らせていく。町を過ぎると田園地帯になり、木々に囲まれた集落が点々としている。菜種油を採るという、菜の花畑が花盛りだ。ガイドのGさんが言っていた通り、北へ行くほど黄金の絨毯が広がっていく。
中央分離帯は、刈り込まれて整ったブーゲンビレアのベルトが続く。赤や白、ピンク色が入り交じって華やかだ。良く見ると、赤紫の花も多い。


埃っぽい小さな町のレストランで昼食を済ませた後、再びバスはデリーに向かってスピードを上げていく。
沿道には、ひょろりと伸び上がった、ユウカリの並木が続いている。どこまでも続く菜の花畑は、実に見事な眺めである。農地の隅には、煎餅のようになった牛糞がうずたかく積まれている。のどかな農村風景がしだいに消えていき、それに代わって住宅が増えてきた。そろそろ、デリーに入って来たようだ。Gさんが独り言のように言っていたが、寒くもなく、暑くもなく、今ごろのデリーの気候は、一番過ごし易い時節だ。これから1月に向かい、寒くなると霧が多くなるそうだ。それは、飛行機の発着にも影響を与えるほどだという。
徐々にビルが増えていき、中心街に入ってきた。遠方に、高さ42メートルのインド門が見えてきたので、フマユーン廟はもう近い。
デリーの都市を、ひとことでは表すことはできない。「整然とした近代都市」であって、「雑踏と喧騒の都会」。
さらに、「牧歌的な田園都市」など、三つの顔を持っているのがデリーの姿である。
デリーの歴史は古く、古代インドの大叙事詩「マハーバーラタ」に、すでに登場しているのだ。その戦争物語から、アショーカ王が活躍した時代に栄えたガンジス中流域の都市に比べれば、古代デリーは田舎だったようだ。



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